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日常風景を残さなかった話

過日人生2度目の帰省をし、久々に実家暮らしを満喫した。

それでもって地元のゲーセンにも里帰りして音ゲーするか~とトコトコ歩いて行ったら、なんとわが青春時代を過ごしたゲーセンが軒並み閉店しているではないですか。

 

タイトーステーション横浜西口店、ジャンボ、この2店ともすでに閉店してしまったアメリカングラフィティとともに、高校の帰りには必ず毎日どこかに通っていたし、難しい曲を前にみんなでなんじゃこりゃって頭を抱えただとか、ほかの常連客と一緒にプレーしただとか、新作稼働日に開店から突撃してセットアップをみんなで待っただとか、そういう思い出が大量に詰まっている場所だった。そういう場所が無くなってしまったのは言葉にし辛い寂しさがあるし、8月の暑い盛りだというのに心の中は完全に晩秋ですよもう。

 

しかし、こんな人生の一部を構成するともいえる重大な場所ながら、いま見返してみると、店の写真は1枚も撮っていなかったのである。当時は毎日通う「日常の風景」であり、撮る必要なんかなかったのである。だって明日も明後日も行くわけで、画像に残さなくても見れるのだから。

 

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何か特別なことでもない限りこういう普通の街角の写真は残さないものです。身近すぎてありがたみに気づかないとは真実であります。

 

身近なありがたみというか、無いからこそそれを満たすべく欲求が生まれるわけで、満たされていたら欲求なんて出てこないですよね。もしゲーセンが閉店していなかったら写真が欲しいなんて思いません。

 

となると、今女性の方とお近づきになりたいなあ、いちゃつきたいなあ、という欲求も実現すれば薄れてしまう可能性があるわけです。よく聞く「冷める」って多分これでしょう。そうなるとくっついたものの宿命として別れるわけで、その後いちゃつき欲求が高まるとまたくっつくわけです。

こうして出会いと別れの繰り返しの中で自分のいちゃつきたいレベルを上げ下げしていくわけで、これはまさしくチョッパ制御に違いありません。チョッパ制御を採用した鉄道車両は加速、減速する際に特徴的な音が出ますが、お付き合いにおいても初めと終わりは惚気とか愚痴とかでうるさくなり、これも女性とお近づきになりたいという感情がチョッパ制御であることの証左でしょう。

近年は金のかかるチョッパ制御は止めにしましょうという流れがあり、この流れにのって若者の恋愛離れが叫ばれ、そんな流れと関係なく自分はいい人1人見つけられず、彼氏彼女がいる若者の比率を下げ、ワイドショーかなんかでよく分からない評論家がよくわからないことをそれっぽく言いやすくなり、視聴者はそうなのかーと世の中に納得できる。この世の中はこれからもっと明るくなるに違いありませんね。

 

いちゃつきたいといいつつ、あまり出会いと別れを高速で繰り返しているとそのうち誰かに首をチョップされるしか未来がないのでやっぱり自分を愛するに限る。